2011年10月29日

勇気を与える

最近はあまり聞かなくなった気もするのだが、先の東北の大震災の直後にはスポーツ選手や芸能人の「勇気を与えたい」式の発言が多かった気がする。、
日本語として変ではないだろうか?

10年以上前にはこのような言い方はなかったと思う。
せいぜい「勇気をもらった」という言葉があったくらいだと思う。
これもちょっと変な言葉で、せいぜい「勇気づけられた」といえるくらいだと思う。

日本語では「与える」は上の立場の人から眼下に対してしか使えないはずだ。
誰かが私に「藤川さんに勇気を与えたい」とか言ってきたら、私は気分が悪くなるだろう。
「勇気をあげたい」と言い直しても同じである。
余計なお世話である。

最近、ボランティアをしている学生(大学生以下、小学生まで)が特にこの言い方をしているのが目立つ。
子供は、大人がどういうことを言ってほしいかを察知して言葉を選んでいるというのが私の持論であるが、これなど典型だと思う、
大人も子供のようでは困る。

「勇気を与える」は傲慢である。
「勇気を与えたい」って貴様は何さまだ!と怒る私はうるさいおやじである。
私はうるさいおやじになりたい。
物わかりのいいおじさまが多すぎると思う。

誰が言い出したのだろう。
初出が知りたいものだ。
英語っぽい感じがする。

そう思って[give brave]でネット検索すると、小児がんの子供にお母さんが[give brave]するといった用例があるので、英語ではおかしくないのかもしれない。

勇気に関して日本語は「受身」でしか使えないというか、そもそも勇気をもらうという言い方もなかったのではないだろうか?
勇気のある行動、勇気のある人、勇気を出す、勇気が湧く・・。こんなものかしら。
勇気をもらったりあげたりするようになったのはいつからだろう?


posted by 藤川竜光 at 21:26 | あれこれ