2011年03月31日

正しい情報ってなんだ?

日本人は、流されやすく、自分で何も考えない国民性だ、という指摘があった。

しかし、

1.流されずに、

2.自分で情報を検索し、

3.さまざまに矛盾する情報から正しいものを自分の責任できちんと判断し、

4.そしてその判断が間違っていたとしても、

5.それを自分の選択の責任としてうけいれ他を責めない

という人が大多数の国民、ってどこの国なんでしょうか?


私はパニックになってはいけないし、落ち着いているべきだと思うし、いまの状況はどうあれ受け入れるが、「安全である」という大連呼も実は信用していない。

プロトニウムが雨あれらと降ってくるとは思わないが、原発の局地とはいえ、3000倍とかいう数字に鈍感になっている自分は、やはり間違っている気がする。

ヨウ素は8日で半減しても、炉からできているのがヨウ素だけのはずはない。
最初のころは炉は頑丈で、いかにも中のものが漏れるなんてことはないという感じだったはずだ。

水素爆発の水素は燃料集合体のジルコニウムと水が反応してでてきたと言っておいて、おいおい、水素が中から出てきたなら他のものだって出るだろう、という素朴な疑問に答える「専門家」は当初誰もいなかった。

なにが起こっているかが正しく検証され、明らかになるのは、ずっと後になってからだ。
いまは、たぶん、誰もわからないのだと思う。

何が正しいか、どういうプロセスで何が起こったのかは、さまざまな科学的検証を経て、議論された後に、だんだんと明らかになっていくものであろう。

いま、正しい情報をわかりやすく直ちに公開せよというのは無茶だと思う。

私たちはいま、正しい情報に基づいて行動すべきというよりは、まったく曖昧模糊とした危うい基盤の上で何ができるかを問われているのだ。


友人は、先日、香港で入国拒否されそうになったそうである。

おろかな話だが、不安を理性でどのくらいコントロールできるかは大いに疑問である。

私は平気だけど、家族は、子供は、乳幼児は、そして、お客様は・・と人が考えた時、この行為をおろかだと簡単に笑い飛ばす気にはならない。

理性的であるということは、リスクをとる覚悟を持つという勇気と友情の問題だと思う。

知性の問題であるかどうかは怪しいもんだと思う。

その意味で、「祈ること」は意味のあることだと信じる。

posted by 藤川竜光 at 18:45 | あれこれ

2011年03月29日

内田先生の「疎開の勧め」

「放射性物質が通常の原子炉の水の約1000万倍の濃度」が「10万倍」に訂正された。

10万倍だから安心という数値ではあるまい。

御用学者という言葉がある。
権力者におもねり、権力者の都合のいいように真実を曲げて伝える学者というぐらいの意味だ。

テレビでは原子力の専門家と呼ばれる人たちが連日登場し、ずっと安全である、ただちに健康被害がでるレベルではないと、繰り返し訴えてきた。

彼らが政府からの要請を受け、実は危険だという事実を知りながら、うその情報を流し続けたとは思わない。彼らは彼らの良心と見識に従って発言してきたと思いたい。

しかし、事態は刻々と動き、核燃料を覆う格納容器から核燃料が漏れ出していることが明らかになった。

安全なはずだ、の「はずだ」はもはや当てにならない。

情報はデータを解釈した解説である。
上記の「1000万倍の濃度」はデータの発表かと思っていたが、ヨウ素の半減期を考慮した解釈付きの「情報」であった。解釈のエラーが1000万倍である。

原子爆弾のような核爆発が起こらないことぐらい私にもわかる。
しかし、放射性物質が海に漏れ、地面を侵し、空気を汚せば、それは「核爆発ではない」といったところで何の意味もなかろう

もはやこの事態において科学者の「解釈」に頼っている時期は過ぎたのではないか。
これは政治の問題である。

理系の学者の理屈を積み上げての発言にもはや私は寒々しい無力感さえ感じる。

http://blog.tatsuru.com/2011/03/16_1119.php

内田樹先生の「疎開」の提案である。
ご一読願いたい。


posted by 藤川竜光 at 04:56 | あれこれ

2011年03月28日

10キロ範囲内で遺体が収容できない

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110328-00000135-jij-soci



遺体が放射能で汚染されて収容できない。
寒いとはいえ、腐敗も進むのであろう。

なんと無残なことか。
亡くなった方ははんと無念なことか。

広島と長崎のように、福島も世界の歴史にこのような形で刻まれることになってしまった。

広島と長崎のようになんとしても復興して欲しいものだが、逆に原子爆弾と違って、ずっと放射能を放出し続けるものが残っている分だけ、より、悲惨な面もあるような気がする。

いままでの原発関連のニュースでもっとも衝撃的なものとなった。

ニュースが直後のようには刻々と流れなくなった。
我々の忍耐も永遠には続かない。


posted by 藤川竜光 at 22:09 | あれこれ